INTERVIEW

「MONO」はなぜ世界で一番聴かれる日本のバンドとなったのか? その軌跡を紐解く。

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MONOというバンドを知っている人はどれだけいるだろうか?17年というキャリアを持ち、海外で最も聴かれている日本のバンドである。しかし、もどかしいほど海外と日本の認知度の差は著しい。

 

2000年に日本を飛び出し、アメリカでの活動をスタートしたMONO。絶望に包まれたニューヨークでの初ライブから、MONOを救ったメンバーの言葉、年間150本を越える怒濤のツアー。SNSもインターネットも普及していない時代に、MONOはどうやってその地位を気付いていったのか?

 

そんなMONOを、海外での活動をベースにしてきた彼らの歴史と、今回の『SYNCHRONICITY’16 – After Hours -』に焦点を当て、シリーズで紐解く。

 

 

インタビュー・テキスト・編集:麻生潤
写真(モノクロ):MUTO
写真(カラー):Teppei

 

 

 

不安はあったけれど、それよりもやらなきゃっていう使命感の方がすごかった。

 

麻生:
まずは後藤さんのお話から聞かせて下さい。1999年にMONOが誕生するまで(高校時代やMONO以前)はどんな時代を過ごしていたんですか?

 

後藤:
僕は島根県の出雲市の出身なんだよね。ライブハウスもないところで、喫茶店に集まって高一の頃から自分のテープを作って売ってたの。照明とかもないから自分で作って、プリントゴッコみたいなのでチケットを作って、最終的に1000人くらい集めてた。オムニバスを出して、ツアーもやってって、そんな風に高校のときにもうインディを興していて。

 

そんな中で広島からもバンドを呼ぶようになって、自分も行ったりする中で、その広島のバンドと一緒に東京に出たの。それからメジャーでデビューすることになるんだけど、やりたくない仕事もたくさんやってさ、プロってなんなんだ?って問いにぶつかったんだよね。リクエストに答えるのがプロなのか?って。でもそれがプロなんだとしたら、俺はプロじゃなくてもいいって思ってさ。それで二度と俺はプロの人とはバンドをやらないって決めて、スタジオの張り紙とかプレイヤー(音楽雑誌)とか3ヶ月間電話しまくって、最終的にできたのがMONOだったの。

 

麻生:

え、メン募から集まったんですか?

 

後藤:

いや、メン募は誰もヒットしなくて(笑)。結局友達の紹介とかでたくさん会って、巡り会ったのが今のメンバーだった。当時はやりたくないことをやれば音楽では食べれる、やりたい音楽をやるんだったら食べれなくても良い、その2択しかなかった。

 

俺は食べれなくてもいいし、風呂なんかなくてもいい、四畳半でもいい。でも残りの人生を自分の好きな音楽しかやらないって決めた日があって、そこがMONOの始まりなんだよね。それはすごい怖いことでもあったけれど、そこで腹をくくったんだよね。1999年の末にメンバーが固まってMONOができて、2000年にニューヨークに行った。
 

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麻生:

日本での活動を飛ばして海外に?メンバーを集める前から海外でやるって決めてたんですか?

 

後藤:

そう、それはもう大前提。海外でやるために日本で集めたんだよね。

 

麻生:

でも当時は前例もないしインターネットも発達していない。今とは比べものにならないくらい大変だったと思います。どうやって活動を始めたんですか?

 

後藤:

海外は友達が少しいたくらいで、当初はFAXと郵便だったんだよね。こういうバンドやるから、もしよかったらブッキングの手伝いをしてくれないか?って。で、六本木でレーベルとブッキングエージェントが載ってる本を買って、海外のレーベルに手紙を書いて、デモをものすごい数送ったんだ。とにかく英語も話せないし、どうやったら海外でできるのか、自分たちのCDが世界で出せるのか、ツアーができるのかとか、全然分からなくて。自力でやるしかなかった。それでも出雲から東京へ来るより簡単だったかな。

 

麻生:

まさにインディペンデントですね。出雲から東京へ来るより簡単だった理由は?

 

後藤:

ライブハウスも録音スタジオも全くないようなところで自主制作で録音してさ、1000人集めてって、もう全部自力でやってってことに比べれば。そういう中で東京へ出て、デビューして、プロミュージシャンになって、日本全国をツアーするということを昔やってきたじゃない。そういうのに比べたら、日本からニューヨークへ行くことなんて全然大したことなかった。だってさ、もう向こうには受け入れてくれるだけのものがあるんだもん。

 

麻生:

でもアテもなく海外へ行くなんて不安だらけじゃないですか。

 

後藤:

うん、これでダメだったらどうなっちゃうんだろうっていう不安はあったけれど、それよりもやらなきゃっていう使命感の方がすごかった。メンバーにはもう結成したときから海外で活動するバンドだからって言ってた。結成当時はパスポートすら持っていないメンバーもいたんだけどね(笑)。MONOは今年17年目なんだけど、プロとか関係なく一から一緒に経験を積み、同じものを見て、感じて、助けあって、全員同じラインでやってこれたから今があるんだよね。
 

 

 

その言葉があったからこそ今のMONOがある。

 

麻生:

海外で活動していこうとしているのにそれが初海外ってすごい(笑)。ニューヨークに出てからの活動はどうでしたか?

 

後藤:

最悪だったよ!僕たちは楽器とかペダルとか売れるものはもうなんだって売ってさ、何とか旅費を作ってニューヨークに行ったんだよね。で、最初はマーキュリーラウンジっていうマンハッタンのベニューでヘッドライナーよりずっと前に演奏したんだけど、僕らを観てくれたお客さんはたったの5人。色んなもの売っぱらって何十万も作ってニューヨークに大きな夢を求めてきたのにさ、5人しかお客さんがいないんだよ!それはもう本当に辛かった。

 

で、その5人を前に45分間演奏してさ、ライブの後にメンバーみんなでご飯食べに行ったんだけどさ、みんな結構食べるんだよ(笑)。でも僕は、もうこの先どうするんだってことばかりで、スープひとくちも喉を通らなくて、もう売るものもないし、取り返しもつかないし、どうしたらいいんだろう?って。ニューヨークに行ったら何かが変わるかもしれないっていう思いがあっても、現実は惨憺たるものだったんだ。
 

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麻生:

でもそれでもMONOは日本に帰ることなく乗り越えていく。それって相当の思いだったと思うんですけど、どう乗り越えたんですか?

 

後藤:

その初ライブの日に、ソーホーのホテルに泊まったんだけど、ベランダでメンバーと話しててさ、ニューヨークまで来てもらったのにこんな人数でごめんねって話をしたら、メンバーが「そんなもんですよ、大阪でやっても5人は5人でしょ。だって、誰も知らないんだから。」って言ってくれたんだよね。それに「やり続けるしかないんじゃないですか?」って。それは本当に大きくて、その言葉があったからこそ今のMONOがあるんだ。

 

そしてもう、そこからは本当に果てしなかった。CD送って、色んな人から手紙もらって、でほどなくして、ジョン・ゾーンのザディックっていうレーベルと契約して、それが世界リリースになってファーストアルバム「Under The Pipal Tree」になるんだけど、少しずつライブに観に来てくれる人がブッキング手伝えるよって言ってくれたり、色んな協力をいただくようになった。そして、そこからは車の中で寝るような怒濤のツアーを積み重ねて行ったんだよね。
 

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ひとつひとつのライブが命がけだった。僕たちはライブ中に弦が切れることさえ本当に嫌だっていうすごいテンションの中でやってたんだ。

 

麻生:

その思いと行動力、信頼関係は本当すごいです。その中で印象的なエピソードや具体的な経験を教えてもらえますか?

 

後藤:

色んな助けがあったんだけど、ジム・オルークがニューヨークで一緒にやってくれたり、ギャラの半分を僕たちにくれたりしてくれてさ、それは本当にありがたかった。今でもジム・オルークには借りがあるんだよね。また、ニューヨークを始め、アメリカの人たちが僕たちのライブを観て色々助けてくれた。そうしてると、やる度に動員が増え、さらに色んな人がサポートしてくれたりするんだよね。本当に奇跡の連続。ロックの色んな経験もしてきたよ。車の中で寝るツアーも、ファイブスターのホテルに泊まることも、色々経験できた。

 

麻生:

アメリカでそんな活動やってきた日本人ってどれだけいたんだろう。本当果てしないですね。そのアメリカでどんな思いで活動し、どういう風に広がっていったんですか?

 

後藤:

ヘッドライナーってさ、楽屋の中でフルーツがあって、水もアルコールももう、色んなものが用意されてある。だけど、次のバンドは水だけしかない。そして、僕らみたいなオープニングのバンドは楽屋さえない。でも夢があるんだよ、絶対に。実力社会なの。アメリカって比べものにならないくらい星の数程バンドがいる。で、その中で僕らがいる訳なんだけどさ、ヘッドライナーの大きな名前があって、その次のバンドは小さめな表記、そして僕らのそのときの表記なんて本当にちっちゃくって見えるか見えないくらいかの表記なんだよ(笑)。だけど、僕らはずっとあの大きな表記になるのをイメージしてたし、あの楽屋でヘッドライナーとしてやるっていう目的があったんだよね。

 

でも始めた頃なんて今みたいにツアーマネージャーがいてっていうんじゃないから4人でやるしかない。だから、ひとつひとつのライブが命がけだった。僕たちはライブ中に弦が切れることさえ本当に嫌だっていうすごいテンションの中でやってたんだ。日本から来てさ、取り返しがつかないからさ。でも良いライブさえ見せれば次につながるっていう、そんな中でやってこれたのって幸せだった。アメリカは本気で次につながっていくんだよね、結果を残せば。動員が明らかに増えていくし、口コミもすごくて。
 

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麻生:

その頃インターネットもないのに口コミってどういう風に広がっていったんだろう?

 

後藤:

僕らは本当にものすごい数のツアーをやってたからね。7ヶ月くらい常に出ている状態とかさ。僕らのウェブサイトでツアーってメニューがあって、年次ごとに別れてるんだけど、それを見ると鳥肌が立つくらいずーっと1月から12月くらい旅に出てるんだよね(http://www.monoofjapan.com/jp/tour.php)。まさに自分の人生の旅って感じだよ。肉体は年老いていくから今はもうできないこともあるけれど、そのときそのときを分かって全力でやってた。

 

 

 

耳が爆発するくらいな体験と映画並のドラマと感情を持ったものすごい無声映画のような力を持った音楽をやりたい、ジャンルなんて問わないって考えるようになって、もう本当にオリジナルになっていった。

 

麻生:

そんなMONOの活動を通して、世界でもMONOはポストロックで特別なポジションを築いています。僕はオリジナリティ溢れるMONOの音楽はポストロックにとどまらないMONOオンリーの世界観があると思うんですが、ポストロックとしてとらえられたりすることについて後藤さんはどう思いますか?

 

後藤:

ポストロックというジャンルが出来上がるよりずっと前に、ケンタッキー州ルイビルという所に「スリント」というすごいクールなバンドがいて、そのバンドはポストロックの前身と言われているバンドで、それこそ、スリントに影響を受けた「モグワイ」がイギリスから出てきて、カナダからゴッドスピード・ユー!・ブラック・エンペラーが出てきて、アメリカからエクスプロージョンズ・イン・ザ・スカイが出てきて、アイスランドからシガーロスが出てきて、じゃ、アジアで一番有名なインストバンドは?って言ったらMONOになっちゃうっていうところだったと思う。

 

そんな風にポストロックって言うよりも、各国のインストゥルメンタルなカラーを持ったバンドって感じなんだよね。ある人から見たらこういうインストゥルメンタル・バンドってポストロックとしてひとくくりにしがちだけど、それってバッハとベートーベンとモーツアルトが一緒だって言ってるようなものと変わらなくて、各国、各アーティストの色合いがあるんだよ。

 

麻生:

確かにその頃の個性的なインストゥルメンタル・ミュージックをポストロックっていうブームで語ろうとしたのかもしれないですね。

 

後藤:

うん、本当そうなんだよね。変な話、グランジが流行ったときに、ニルヴァーナだったり、パールジャムが出てきたりってあったけどさ、グランジって3年半くらいしか持たなかった。僕らが活動し始めて数年経ったら、まさにポストロックっていうブームが来てさ、あ、これはいかんと、これは3年半でグランジのように消えてなくなるかもしれないと。だから、ポストロックというものではダメなんだという認識を2003年くらいに持ったんだよね。
 

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麻生:

ジャンルやブームに対する危機感を感じたということ?

 

後藤:

うん、そうだね。当時ポストロックって静かなところからダーンって大きくなる音楽が主流だったんだけど、だんだんそこからそれぞれが手法を考え始めるんだよ。トータスとかもいたし、どんどん進化して、踊れるポストロック、マスなポストロックなど色々細分化していくんだけど、僕が思うに、静かなパートからラウドなパートに行かないように作ることが新しいとか、オープニングからノイジーに行くことが新しい形とか、みんな悩んでいた時期があるんだよね。

 

でも新しくて斬新でハードコアなスタイルを持った音楽がその頃ポストロックと呼ばれるものだったのに、斬新なことを掲示したら、斬新な普通の音楽になっちゃって(笑)、その斬新というワナにハマって、形式の中でどうやったら新しい音楽が作れるんだっていうことを考えて、頭でっかちな音楽になっていってた。そういうのを見て、あれ、なんか違うなって思って。

 

麻生:

斬新な普通の音楽っていい表現ですね(笑)。でも言ってること分かります。

 

後藤:

で、結局僕らの音楽って何だろうって、17年経って見渡してみると・・・。メタルは泣きでさ、ハードコアは叫び、パンクは生き方だったりっていうのがあるんだけど、そういうあらゆる要素やアイデンティティを含んだすごい音楽は何かって考えていくと、音を追いかけていくんじゃなくて、生き様そのものがオリジナルであるってことが大切で、他人がどうであれ自分には関係ないって言って、自分がもともと持っていた『どうしてもこういう音楽をやりたい』っていう気持ちや感覚のようなものなんだよ。

 

2003〜2004年くらいは、自分が信じる音楽さえあれば俺はいいってフォーカスして考えた時期だった。そこからはもうジャンル関係なしに、サウンド的に言えば、耳が爆発するくらいの体験と映画並のドラマと感情を持った音楽をやりたい、ジャンルなんて問わないって考えるようになって、もう本当にオリジナルになっていった。
 


麻生:

確かにMONOの音楽は完全にオリジナルだと思います。でもどこか日本的な要素も感じます。世界で音楽を伝える上で、日本的な感覚を意識したことは?

 

後藤:

そうだね。イントロからしてMONOの音楽はMONOでしかない。 例えば、イギリスでMONOの音楽を演奏すると、おそらく日本の愁い(うれい)とか、儚さとか、そういう日本ならではのものだっていう見方もあると思う。だって、イギリスもアメリカも自分たちの国にあるものは必要としてないからね。 それぞれがそれぞれにないものを求める。それは無意識レベルで、例えば着物を着るとか、雅楽のようなものをやろうというものではなくて、曲そのものが既に完全であるはずだと思っている。日本で育ったからにはそれが自然と昇華されているものだってね。本当に好きなものをやれば、日本人の血を持った音楽であるって。自分たちのハートにくるかこないかが大切。それを貫き通してきたんだよね。

 

 

データ元(Last.fm Scrobble 10年のあゆみ 2002年 – 2012年):
http://www.last.fm/ja/bestof/10years/timeline

 

 

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INTERVIEW

乗り越えた先にあるポップとグルーヴ、RIDDIMATESの今を伝えるインタビュー リリースパーティーいよいよ開催!

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6/21(水)に5thアルバム『OVER』をリリースしたRIDDIMATES。前作から実に3年。メンバーの脱退や加入、様々な時期を乗り越えて待望のアルバムが完成した。そのアルバムは実に爽快で軽やかだ。

 

今年の『SYNCHRONICITY』にも4年ぶりに出演。時代とともに変化してきた『SYNCHRONICITY』もRIDDIMATESのようなダンスサウンドはルーツと言えるようなもの。O-WESTに広がる熱いグルーヴ、笑顔に溢れたフロアにこのバンドが積み重ねた歴史が見えた。

 

7/22(日)には久しぶりのリリースパーティーを渋谷WWWで開催する。今作のサウンドがライブにどう昇華されてくのか。その開催ギリギリの最中、今作とRIDDIMATESのライブへの想いを聞いた。


 

インタビュー・テキスト・編集:麻生潤

 


 

もがいてもがいて自分らがいいと思える作品が出来れば、それはもう超えてるんだと。(CrossYou)


麻生:
前作から3年、5thアルバム『OVER』のリリースおめでとう!2016年の「Swandive」からも感じてたけれど、キャッチーさとグルーヴがバランス良く融合した爽快なアルバムに感じます。久しぶりのリリースになるけれど、今作はどういうところをテーマに取り組んでいきましたか?

 

CrossYou(T.sax):
そうですね、一言だと『超える』ってことになるんだと思います。

 

麻生:
超える?

 

CrossYou(T.sax):
はい、もうちょっと言うと、前のアルバムJOYでテーマだったPOPを突き進めつつ、去年のシングル収録Swandiveのダブルサックスによる2MC感のある曲や、前から持っていた辺境ミュージック、その全てを上回る、超えるアルバムでないと意味がないと思っていました。

 

ただ、アルバムのライナーノーツをヒサシさん(ヒサシtheKID)に書いてもらって、腑に落ちたというか、めちゃくちゃもがいて、メンバーやサポートしてくれた方々と納得の作品が出来て、ヒサシさんと呑んで話してライナーノーツ読んだら、あぁそうかと。それでよかったんだと。もがいてもがいて自分らがいいと思える作品が出来れば、それはもう超えてるんだと。

 

あとは『想いが言葉を超える』ってキャッチコピーは気に入っていますね。

 

麻生:
まさしくRIDDIMATESに相応しいキャッチコピーだね。

 

akirag:
敢えて何か一つのジャンルを狙うのではなくて自分達にある響きやビート、グルーヴ、作曲者が描く曲の雰囲気を素直に曲に落とし込む作業をしたのが今回のテーマになったのかなと。その結果、ジャンルも雰囲気も結構バラバラになった感はありますが、その全てを一枚のアルバムにして聴いてみると僕らにしか表現出来ないリディメイツサウンド、ブラスロッカーズサウンドに自ずと仕上がったと感じています。アルバムのジャケットは曲数と同じ13色で構成されているのですが、その色も一つ一つはバラバラでも合わさる事で一つの作品に仕上がっているのも通じています。

 

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削ぎ落とす作業をしていってるのも聴きやすさに繋がってるのかも。(akirag)


麻生:
アルバムジャケットは曲数と同じ13色で構成されてるんだね!個人的にも聴いてるとバラバラというよりもRIDDIMATESならではのジャンルのあり方を体現してる気がする。それがポップで軽やかで力の抜けたグルーヴに昇華されてるなって。それがすごく心地良い。また、新曲の数々の音源を比べると2016年の公開された「Swandive」よりも一層聴きやすくなってる気もします。そこからの変化って何かありますか?

 

CrossYou:
引き算は結構やりましたね、今まで自分が全部盛りのアジテートさせる音楽が好きでリディメイツもそうだったんですけど、徐々にメンバーの色が出てきて、真ん中ぐらいになったというか、こっちもできるんだよっていうね。ただ、今後は両極端でもいいかなとも思っています、ガチャガチャしてる曲もあれば、シンプルなのもあったりと。

 

akirag:
前作のリリース後、キーボードの脱退もありサウンド面で再考する必要がありました。新たにキーボードを入れるのか否か。メンバーで話しあった結果キーボードは入れずに曲を、そして音をシンプルに間を作る感覚で作っても良いんじゃないかと言う結論に至ったのもあって割と削ぎ落とす作業をしていってるのも聴きやすさに繋がってるのかもしれません。

 

麻生:
児玉奈央ちゃんをゲストに迎えたSpanky Wilsonのカバー「LOVE LAND」。ライトで優しいカバーがとても印象的です。唯一のボーカルナンバーだけど、共演するにいったった経緯は?また、どういうアプローチでこういうカバーになったんだろう?

 

CrossYou:
まず、ひとつに高校の先輩ってのが大きくて、結構前から、一緒にやりたいとは話してて、ついに叶った感じです。1作品に1曲はボーカルを入れているので、次何やろうかって話してて、ベースの大ちゃんがSpanky Wilsonの別曲を持ってきて、それいいねってなったんだけど、それなら、この曲いいよって俺の好きな曲を提案して決まった感じです。実はCharles Wrightが原曲なんですが、Spanky Wilsonが唄って有名になった曲で、Charles Wrightがメローで、Spanky Wilsonがアッパーな感じ、僕らのはその中間な感じですね。

 

RIDDIMATES / LOVE LAND feat.KODAMA NAO【OFFICAL VIDEO】

 

 

 

 

曲的には一昨年でも去年でも出せたのですが、出さなくて良かったなと、ちゃんと必要な年月でした。(CrossYou)


麻生:
前作から3年ということで、またアプローチ方法も違ったと思うんだけど、意識して取り組んだことは?

 

CrossYou:
結構毎回なんですが、『現状に感謝しながらも満足せず、新しい事へ挑戦』というのが常にあるので、エンジニア、レコーディング・スタジオ、マスタリング・スタジオ、アートワークを全て新しい方々、新しい場所で行いました。

 

akirag:
やはり僕らはそれぞれの曲の熱量を大切にしたいので、レコーディングの際もそこを凄く意識して個性ある13曲を仕上げていきました。

 

麻生:
確かに新しい個性と今までの普遍的なRIDDIMATESの良さを感じます。メンバーの脱退や加入を経てようやく生み出した1枚。より新しいポップさ、キャッチーさとともに乗り越えてきた確かなグルーヴを感じますね。

 

CrossYou:
前作のアルバムから3年ってのは、振り返ると苦労したのかなと、メンバーが抜けて、それが固まるまで。曲的には一昨年でも去年でも出せたのですが、出さなくて良かったなと、ちゃんと必要な年月でした。ただこっからエンジンかけて行きますよ~!!

 

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熱量を大切にしているからなんだと思うんですが、レコーディングの際ファーストテイクで大体集中力が無くなっちゃうってのが僕らの癖です。ほとんどの曲がファーストテイクが採用されているように感じますね。

 

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photo by Yosuke Torii(SYNCHRONICITY’17)

 

 

なんでも二面性を持っていると思うので、その二面性を感じてもらえたらと、このステージにかける気迫と、みんなを楽しませたいっていうシンプルな気持ちを。(CrossYou)


麻生:
4月は『SYNCHRONICITY』で久しぶりに一緒にできたけれど、本当に素晴らいライブだった。『SYNCHRONICITY』以前からだからもう何気に付き合い長いよね。4年ぶりの出演いかがでしたか?

 

CrossYou:
まず、久し振りに『SYNCHRONICITY』に出演できて感謝です。僕らは『SYNCHRONICITY』に出演してから、とんとん拍子で、クアトロワンマンや数々のフェスやフジロック、朝霧JAMにも出演できたと思っているので、それに感謝。そして、その初の『SYNCHRONICITY』から結構経ったので、そこはクオリティが上がってないと駄目だなと単純に思います。もっとやれると思いますし、メンバーの演奏はもちろん、楽曲的にも聴かせる部分とアゲる部分の差し引きができるようになってはいるのかなと。

 

麻生:
各地のフェスやイベントで培ってきた経験がしっかりライブのグルーヴになってるなって感じた。グルーヴって最近思うんだけど、本当に積み重ねだよね。不思議なくらい。さて、いよいよ渋谷WWWでのワンマン、楽しみにしてます!最後にワンマンへ向けて一言お願いします。

 

CrossYou:
今までの人生全てかけて吹きます。でもお祭りなんで気軽に来てほしいですね。なんでも二面性を持っていると思うので、その二面性を感じてもらえたらと、このステージにかける気迫と、みんなを楽しませたいっていうシンプルな気持ちを。


 

RIDDIMATES リリース情報:


RIDDIMATES 
5th full ALBUM『OVER』
2017年6月21日(wed)Release!
価格:¥2,300(税抜価格)
品番:ROMAN-014
発売元:Roman Label / BAYON PRODUCTION
販売元:PCI MUSIC

 

[Track List]
1. For The Beats
2. Come On
3. Walk Song
4. Swandive
5. Over Against
6. The Barber
7. Drop
8. Love Land feat. Kodama Nao
9. Spider’s web
10. Bacon!!
11. Garagardoa
12. Sunset Glow
13. Clam Chowder


 

ワンマン情報


『OVER』RELEASE PARTY!! ONEMAN SHOW!!
日時:2017.07.22(sat)
時間:OPEN 18:00 / START 19:00
場所:渋谷WWW
料金:前売¥3,000- / 当日¥3,500-

 

■RIDDIMATES
ブラスロッカーズ・サウンドを掲げ、ありふれた音楽ではない、刺激のある音楽を創りだし、日々の喜びに変えるバンド「リディメイツ」。熱くて、男臭くて、音を楽しんでいて、ご飯を良く食べる。生活の一部に音楽が常にある、そんな願いがあるんだか無いんだか。本気で遊んで、本気で音楽する、そんなバンドの物語。2014 年春に4 枚目のアルバムを発売し、リリース・パーティのワンマンを渋谷クアトロにて満員御礼の大成功に収め、そのままの勢いで『FUJIROCK2014』に出演。その際「来年はもっと上で!」と言ったら2015 年はリーダーCrossYou がOASIS、Noel Gallagher のホーン隊として『FUJIROCK2015』に出演しちゃう、飛び級事件勃発。それ以降も『りんご音楽祭2015』出演など各フェスで活躍、2016 年はシングルep をリリースし京都FM でパワープレイに選ばれる。

 

オフィシャルサイト:
http://brassrockers.com/

 

プリント

RIDDIMATES『OVER』アルバムジャケット
 

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